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コミュニケーション的
存在論の人類学

杉島敬志編
A5判・上製・紙カバー装・360頁
税込4,400円(本体4,000円+税)

ISBN978-4-653-04387-4【2019年12月刊】


存在は単独で存在するのではなく、コミュニケーションやゲームとともに立ち現れる――人類学理論の中心をなす「存在論」の議論を拡張し、現代人類学が進むべき未来を模索する。国立民族学博物館共同研究の成果を書籍化。

<目次>
序 論 ――参与観察を讃えて―― 杉島敬志
はじめに
 一 それは革命だったか?
 二 やはり欠けている規則論
 三 コミュニケーション的存在論
 四 参与観察を讃えて
 五 ヴィヴェイロス・デ・カストロの文化抑圧
 六 存在の立ち現れ――本書所収の論文
第一章 何をしたら宗教を「真剣にとりあげた」ことになるのか?――調律と複ゲームのフィールドワーク論―― 片岡 樹
 はじめに
 一 神の実在を語る
 二 東南アジア山地の村落で
 おわりに
第二章 開放系コミュニケーション――東北タイにおける経産婦の病ピットカブーンの事例研究―― 津村文彦
 はじめに
 一 曖昧な概念と複ゲーム状況
 二 ピットカブーンの定義と現実
 三 病の原因をめぐるコミュニケーション
 四 近代医療とのコミュニケーション
 五 増殖する語り、強化される病
 おわりに
第三章 コミュニケーションにおける様相変化――インドネシア・中部フローレスにおける妖術の記述的考察―― 杉島敬志
 はじめに
 一 肝臓表現
 二 欲する肝臓
 三 妖術者の肝臓
 四 妖術者としての首長
 五 首長への言祝ぎ
おわりに
第四章 「育つ岩」――コミュニケーション/エージェンシーの限界をめぐる試論―― 里見龍樹
 はじめに――「人工島」と「育つ岩」
 一 思弁的実在論と「原化石」
 二 民族誌的問題設定
 三 理論的問題設定
 四 サメと魚――アシにおける非―人間のエージェンシー
 五 コミュニケーションの境界としてのマングローヴ
 六 「生きている岩」と「焼けた岩」
 七 「深み」と「地中」
 おわりに
第五章 起源の場所――バリにおける土地のエージェンシーを考える―― 中村 潔
 はじめに――エージェンシーを拡張する
 一バリにおける村と起源
 二 村の起源と始祖
 三 バヌア(村)とクラマ(成員)
 おわりに――現地の言葉を真剣に受け取る
第六章 書類の/とエージェンシー――パプアニューギニア・マヌス島における法とコミュニケーション―― 馬場 淳
 はじめに――村にあふれる書類
 一 海の書類たち
 二 対象としての書類――その理論的枠組み
 三 島の書類――その民族誌的背景
 四 扶養ファイルの層位学――書類とコミュニケーション
 五 変わりゆく書類の「力」
 六 コミュニケーションの拡張
 おわりに
第七章 社会化をうながす複合的文脈――グイ/ガナにおけるジムナスティックの事例から―― 高田 明
 はじめに――子どもの人類学
 一 サンの養育者――子ども間相互行為
 二 グイ/ガナ(セントラル・カラハリ・サン)
 三 養育活動におけるリズムの共同的な創造
 四 共同的音楽性と発話共同体
 おわりに――養育の複合的文脈
第八章 技術習得と知識共有――マダガスカル漁撈民ヴェズの事例から考える―― 飯田 卓
 はじめに
 一 身体知と情報――個人の知識とコミュニケーション媒体
 二 マダガスカルにおける環境問題と「知識」
 三 技術移転の成功と失敗
 四 個人的な知識と学習
 五 情報と知識共有
 六 情報は知識を媒介する
 おわりに――知識はいかに共有されるのか
あとがき/執筆者紹介/索 引

【内容紹介】
 現代人類学の研究状況を概観する「序論」につづき(以下「序論」より抜粋)本書には八本の論文が収められている。以下では各論文が当事者にとっての存在の立ち現れの理解にどのように取り組んでいるかを中心に、それぞれの内容を概観する。

 第一章の片岡論文は規則論的な問題設定を推し進めている点に特色がある。片岡は、人類学とそれをとりまく学問分野における議論の蓄積をふまえ、本稿とは別経路で、それらを総合する議論を展開している。片岡論文が集中して考察するのは、神や精霊のような存在とその活動を理解するうえで、当事者の存在論にもとづくことが、よりよい理解につながるかという問いである。片岡の答えは否だが――――
 第二章の津村論文は、東北タイのピットカブーンをめぐるコミュニケーションの錯綜に取り組んでいる。 …(中略)… ここにあるのは従来の複ゲーム状況論ではとらえにくい現象である。近代医療関係者のあいだで、ピットカブーンは迷信とされるが、彼らはピットカブーンを単なる迷信として否定するのではなく、対処療法によって治療されるべき、多様な症状の集合と見なす。また、異なる病因を定立するコミュニケーションの中心にいる薬草師、呪医、産婆といった権威者も、それぞれのコミュニケーションを閉ざすことなく、その外部との関係を開放状態に保っている。このことが村人たちのピットカブーンをめぐる異なるコミュニケーションへの出入りをいっそう容易にするとともに、多様なコミュニケーションが並存し、潜在的には増加する状況を生み出していると津村はのべる。
 第三章の杉島論文は、インドネシア・中部フローレスのリセ首長国における妖術をとりあげている。妖術は、妖術者を告発し、殺害する理由にもなれば、有力首長の言祝ぎにもなる。杉島論文はこうした妖術をめぐるコミュニケーション的な様相の変化を詳細な民族誌的データにもとづいて明らかにしている。そのうえで、コミュニケーションの文脈に配慮することなく概念に焦点を合わせ、概念を相互に結びつけることによって体系としての文化を描き出す、杉島が「概念記述」とよぶ研究方法を批判している――――
 第四章の里見論文はソロモン諸島(国)マライタ島北東海岸のアシとよばれる人びとの「海の岩」をめぐって展開される。アシは海上に人工島を造成して生活の場としてきた。その資材となるのは「海の岩」、すなわち造礁サンゴ等が形成する石灰質の岩である。アシの人びとはそれに関心をむけることも、話題にすることもない。
 こうした「海の岩」を対象とする研究は、したがって多分に冒険的議論をふくむことになるが、里見論文は、そこからいくつかの重要な学術的貢献をおこなっている。そのひとつは参与観察というコミュニケーションに依存する調査によって、コミュニケーションの圏域とその外部との境界を探り、「海の岩」が地下や海の深みのなかで「育ちつつある」ことを語る、擦れたように不明瞭で不安定に揺れ動く言葉をとりだしていることである。これは存在のコミュニケーション依存性をそれが成り立たなくなる臨界点から明らかにした論述として画期的である――――
 第五章の中村論文はインドネシア・バリ島のある知識人が語った「土地が人間をもつ」という言葉をめぐって展開する。 …(中略)… 中村は、オーストロネシア諸語のひとつであるバリ語のバヌア(土地領域)、カウィタン(起源、祖先)、クラマ(成員)などの語源や用法を、オーストロネシア諸語の比較研究の成果をふまえながら検討し、土地が人間にエージェント(行為主体)として働くような表現の痕跡を発見している。
 第六章の馬場論文は、パプアニューギニアのマヌス島を中心に扶養費請求やDV(ドメスティック・バイオレンス)の訴訟をめぐって馬場がおこなってきた研究の成果がいかんなく発揮された論文であり、これらの訴訟にかかわる書類がコミュニケーションの文脈ごとにどのように立ち現れるかを明らかにしている。
 第七章の高田論文は、アフリカ南部・カラハリ砂漠の狩猟採集民グイ/ガナの養育者が乳児に対しておこなうジムナスティック(養育者が乳児をひざの上で抱えあげ、立位を保持あるいは上下運動させる行為)と乳児を前景化するツァンドという歌/ダンスをふくむ相互行為をとりあげている。 …(中略)… この分析は、それ自体として成り立っているだけでなく、相互行為の進行、子どもの成長、社会・文化の変化という異なる時間軸の架橋に取り組んできた、「子どもの人類学研究」における言語的社会化アプローチと複ゲーム状況論を接合する試みでもある。
 最終章(第八章)の飯田論文はマダガスカルの南西部沿岸に居住する漁撈民ヴェズの村落地域における長年のフィールドワークにもとづく研究である。理論的な提言をはじめ多岐にわたる内容の論文だが、その要点のひとつは次のような論点群である。①コミュニケーションは情報(他に影響を及ぼす刺激)の流通である。②人間だけでなく、動植物や人工物も情報の発信源となる。③人間は身体を基盤にさまざまな情報を総合し、「身体知」を形成、更新しつづける。飯田は、これらを主にカヌー操縦の学習過程にもとづいてのべている。

●編者

杉島敬志(京都大学名誉教授、放送大学特任教授/放送大学京都学習センター所長、人類学)


●執筆者 (五十音順)

飯田卓(国立民族学博物館教授、人類学)
片岡樹(京都大学教授、文化人類学、東南アジア研究)
里見龍樹(早稲田大学准教授、人類学)
高田明(京都大学准教授、人類学)
津村文彦(名城大学教授、人類学)
中村潔(新潟大学教授、人類学)
馬場淳(和光大学准教授、人類学)

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